愛しい 狂おしい 壊れそうなほどに

薮さんをひたすら愛でる

ビスタ席でファンサを貰った話

 

 

いやあたしだってまさか貰えるとは思ってなかったよ。これにはいくつかの条件が必要です。

 

①自担の視力がいいこと

②ビスタ席最前であること

③一塁側の1番メンステ寄りの席であること

④わかりやすい名前団扇を持つこと

⑤運があること

 

①に関してはこちらがどうこうできる話ではないので ぜひ自担にご相談を。これを大前提にしてください。

②に関しては別にビスタ席自体2列しかないから 大した問題じゃないかもしれないけど 最前だと少しでも自担との距離が近くなるかな〜という気休め程度。あとは視界良好なので フロートが真下に来た時に見やすい。

③に関してはあたしが入ったのがそこの席だったんだけど ビスタ席の真下が天井席でその下にスタンド席がなかった。だから上を向いてくれることが多かった。そんでもってフロート出発到着地点でフロート自体が止まっている時間が長かった。

④に関してはアピール要素としてって感じ。いくら上を見てくれてても「ビスタ席だし団扇いいや〜」ってしてると 貰えるものも貰えない。だからダメ元で持って「ここに居るんだぜ〜!!!」ってアピールすることも大事かなって思う。

⑤に関しては本当にそれしか言えないって感じ。見てくれる事もあるだろうし全く見てくれない事もあると思う。それはもうその時の自担によるからあたしからは何も言えない。

 

この条件が揃って全てのタイミングが合えば ビスタ席でもファンサは貰えます。断言はできないけど あたしはしっかり貰ったから。

やっぱりどんなに自担が遠くても 自担がそこに自分のファンがいるんだって思ったらきっと嬉しいと思うし。それはビスタ席だけじゃなくて 天井席もそうだけど。諦めも必要って言われるけど 諦めないことも大事だと思う!

あたしだってビスタ席だからって名前団扇持っていくか迷ったし持つかも迷ったけど 「どうせ見えないけど持たずに後悔したくない!」って思って持ったから。

 

ビスタ席が当たって自担遠いし 見てもらえないし ファンサとか皆無って落ち込んでる人に届いたらいいなって思って書きました。これからビスタ席に入る方に届きますように。

 

それではビスタ席楽しんできてください😊

2018年 薮担備忘録

 

 

2018.01.01 

Hey! Say! JUMP I/Oth Anniversary Tour 2017-2018

元旦でオーラスのコンサート。東京ドームに参戦。席はアリーナのトロッコ4列目。Born in the EARTHで薮さんからのファンサ。

 

2018.06.27

DVD発売日

元旦で貰ったファンサが映像化されている事に気づく。

 

2018.09.23

SENSE or LOVE 

北海道で私的オーラス。薮さん入所日での参戦。センステから4列目 アリトロから6列目。薮さんにMCで拾ってもらい 明日へのYELLでファンサ。

 

2018.12.02

SENSE or LOVE

京セラドーム。ドーム公演私的初日。ビスタ席にてChau#で薮さんからファンサ。

 

2018.12.14

ミュージカル主演「ハル」

誕生日に薮さんのミュージカル主演が決まる。

 

2018.12.23

SENSE or LOVE

ナゴヤドーム。フロート最前。キミアトでファンサを貰い We Believeで遊んでもらう。

 

 

今年を振り返ると12回も薮さんに会いに行っていた。あたし自身そんなに会いに行ってた自覚はなかったし 本当にあっという間。楽しかったなぁ。

 

薮さんのことを好きになっていなかったら 薮さんの視界に入ることもなかった。たった数秒かもしれないけど その薮さんの人生の中の数秒であたしの為に動いてくれる薮さんが居たなら幸せな世界だなって思う。

 

あと何年続くかわからないヲタク。いつ終わるかわからないヲタク。それをこうして今年も続けられたことが幸せだった。

 

薮さん今年も本当にありがとうございました。とっても幸せな1年でした。

来年もぜひたくさんの幸せをください。これからのご活躍をお祈りしています。

 

 

アリーナツアー終了

 

 

私の中のSENSE or LOVE アリーナツアーが終わりました。

 

 

はっきり言って期待できなくて不安なコンサートだった。はじめは。節目の後 とっても大事な、むしろ節目よりも大事な年に岡本さんがいない。どうなってるんだ。どういうつもりなんだ。何も無くても周りがおめでとうって盛り上げてくれる節目は終わったんだぞ。もうその勝手な盛り上がりはないんだぞ。そう思ってた。

 

 

10周年のツアーはセトリも演出も構成も全て満足できるものだった。あたしの中では。どの部分を切り取っても楽しかった。だからこそ そんな満足度の高いコンサートを今年 メンバーが欠けた状態で満足するものに仕上げられるのかって思ってた。

 

 

実際入ってみて はっきり言うと楽しかった。普通に楽しかった。不安だった気持ちはもう無くなってた。新しい試みが多くて 彼らは彼らなりに変わろうとしてるんだなって実感した。それが本当に良かったのかはツアーが全て終わるまでわからないけど 変わらない楽しさ、面白さより変わった楽しさ、面白さの方が大きかったかなって思う。今までの物を変えるのって相当勇気がいると思うけど 全てを振り切って11年目進んでいこうとしてるんだなって感じた。

 

 

彼らはまだ成長し続けるんだな。いつも見ているあたし達よりもずっとその先を考えているんだな。やっぱり彼らってすごいな。改めてそう思った。ちょっと舐めてました。これからも応援するので許してね。

 

 

心配することは何一つ無かった。

残りの公演も頑張って下さい。

 

 

星が出ていない空を眺めて

 

いやまずやる前からわかってることだったんだよ。

 

ヲタクになるってことは同担は自然と発生することであって。ファンがいるからこその薮さんな訳で。

 

そんなの100も承知なんです。わかってるんです。でもねって気持ちが今自分の中にどうしてもある。

 

薮さんのソロ曲をスタンドの後ろの方で眺めてた時に 薮さんを当てるためのスポットライトにたくさんの薮担が照らされてた。それを見てなんとも言えない気持ちがフツフツと湧いてきて。薮さんを応援してるのはあたしだけじゃないんだなって。そんなのわかってたつもりだったけど いざ目の前にしてみるとやっぱり独占欲って出てきちゃう物で。

 

このソロを1人で聴けたら あたしだけの為に歌ってくれたらって考え始めてしまったわけですよ。でもだからと言って同担が嫌いとかじゃなくて(苦手な部類は存在するけど)普通に話せるし 一緒に薮さんについて話すこともできるんだよね。

 

要するにね薮さんにとってはたくさんの星が見えてるけど あたし達は一番星しか見えてないの。寂しい夜空な訳です。とっても暗い夜空な訳です。その一番星の光がどんなに儚いものか。いつ消えてしまうかもわからない一番星を追いかけてるんです。

 

その時に思った。「あぁ 遠いな。手が届かないな。」って。当たり前なのはわかってる。でもね少しの望みを願いを懸けてヲタクしてるんです。

 

その願いは薮さんの特別になりたいとかじゃない。薮さんにとっての夜空の中に入れる星になりたい。そう思う日々です。

 

今できることを

勢いで書いたので誰も得しない文です。

自己責任で読んでください。

 

 

 

やっぱり同じ状況の同じ条件の出来事なんて一生やってこない。だからこそ今できるベストをやるしかない。

 


自担が居なくなるか 自分が居なくなるかなんてわからない。どんなに考えたってわからない。未来がわかる奴なんていない。

 


後悔したくない。だからあたしは今会える全力で薮さんに会いに行く。悪く転べばあたしは死ぬ。良く転べばこのまま生きていける。いつ悪く転ぶかなんてわからない。いつ薮さんに会いに行けなくなるかわからない。いつ今までみたいにフォロワーさんと絡めなくなるかわからない。

 


ならさ。ならなら、今全力で楽しむしかなくない?叩かれたってあたしの意見を言うべきじゃない?同担がどう思おうとあたしの薮さんの愛し方をするしかなくない?何が間違ってるの?いいんだよ。人それぞれ愛し方があるの。邪魔しないで。

 


生まれた時から健康な体じゃなかった。ずっと爆弾抱えてた。手術したって完全には治らなかった。今だってどこに危険があるかわからない。そんな状況で周りの事考えてヲタクしてよって言われたって無理だよ。あたしは必死だよ。薮さんに愛するのに。死ぬ気で愛するよ。だって後悔したくないから。

 


だから他の薮担とは一緒になりたくないよ。同じレベルで愛したくないよ。それはお金をかけるとかじゃなくて あたしはあたしにしかできない薮さんへの愛し方をしたい。

 

 

 

今しかできないんだよ。もう同じ事は二度と起きない。後悔だけはするな。それが正しいか間違ってるかはわからないけど。でも死ぬ前に薮さんを愛していてよかったって思えると思う。あたしは言いきれる。だって飽き性のあたしをこんなにハメたんだもん。

 

だから薮さんも覚悟しておいてほしい。あたしに ファンに愛される覚悟を。

なぜコンサートに行くのか

 

 

 

皆さんはなぜコンサートに行きますか?

 

 

 

大阪から帰ってきた私に父が「楽しかったか」と聞いた。私はすかさず「楽しかったよ」と答えた。私の父はアイドルにハマるような人間ではない。だから薮さんについても全く覚えてくれないし Hey! Say! JUMPの存在も曖昧だ。そんな父が私に1つの質問をした。

 

「お前はなんでコンサートに行くのか」

 

今まで考えた事もなかった。コンサートがあるから行く。当たったから行く。そこには明確な目的などあまりないのではないかと思った。強いて言うなら薮さんに会いに行くだと思う。

今回その質問を受けて私は改めてコンサートに行く意味を考えた。出た答えは1つ。

 

「薮さんの歌声を聴くため」

 

それしかないと思った。私は薮さんの歌声がきっかけで薮さんのことを好きになって 今応援している。そんな彼の声を近くで聴きたい。そんな気持ちが1番大きいことに気がついた。もちろん会うことも大切。でもファンサを貰うことが全てではないと 自分の中ではっきりとわかった。コンサート中も薮さんの歌声を聴いているとペンラを振るのも忘れて聴き入ってしまったり 感動することばかりだ。そう考えるとやっぱり歌声を聴くためにコンサートに言っているのだと思う。

 

こんなことを薮さんに興味のない父に押し付けながら話したのだ。父は「馬鹿みたいに追いかけてるのかと思ってたけど それならわかる気がする」と言ってくれた。

なんでコンサートに行くのか。今回それを考えることによって 次のコンサートへモチベーションも変わってくると思う。ぜひ皆さんにも考えていただきたい。

 

 

 

ファンの存在

 

 

 

 ファンの存在ってなんなんだろう。

 

 

たまたまそんな事を考えるきっかけができた。私が思うにアイドルにとってファンという者は 絶対にアイドルの活動を邪魔してはいけない。壁になってはいけないと思う。応援している以上 彼らを後押しする存在でいてほしい。

 

私は彼らの踏み台になりたい。ファンは踏み台であってほしい。最近のHey! Say! JUMPからは「ファン」という言葉がたくさん出てくるようになった。それは彼ら自身がファンの存在を考えて活動してくれているからではないかと私は思う。なら私達は彼らがどんな高みでも挑戦していけるように踏み台になろうではないか。どんなに小さな踏み台だとしても塵も積もれば山となる。どんな少人数のファンだとしても少人数が大人数になれば人気のグループになる。だから私達は踏み台であるべきだ。彼らが高く跳んでいけるような踏み台であるべきだ。私的には踏み台を蹴散らしていくようなことがあってもいいと思う。それでもまた着地した先で踏み台となり彼らを支えるのが本当のファンというものだ。踏み台があるからこそ そこで踏ん張って跳べるバネがあるからこそ 彼らは高く跳べる。そんな力添えを彼らにしたい。彼らだけでは越えられない壁を私達の力で越えられる壁に変えていきたい。彼らの血となり肉となるのは難しい話だ。しかし踏み台になるのは難しくない。ファンクラブに入らなくたって応援するだけでなれるはずだ。小さな踏み台が重なり合って大きな壁も越えられる強靭な踏み台になる。そんなファンであってほしい。

 

 

これは私一個人の考えであって これが正しい訳ではない。これも1つの考えだと思って読んで頂けると嬉しいです。